葛 原 邸

 所在地は福山市神辺町大字八尋、かつての八尋村の中央部にある氏神社や寺と同じ丘の麓に大きな竹薮を背負った南向きの代々庄屋であった屋敷です。恐らく普通には「葛原勾当旧宅・葛原しげる生家」とでも呼ぶのかも知れませんが、当保存会では現在、葛原勾当・葛原しげる、二人の文化を葛原文化と呼んでいるように、この屋敷を葛原邸と呼んでいます。もちろん葛原邸も葛原文化の一つです。所有は福山市です。


 母屋は弘化三年(1846年)完成、長屋は安政七年(1861年)棟上げ、蔵も長屋と同時期頃の築です。全てが平屋ですが、母屋と蔵には中二階があります。なお、2014年度葛原家住宅改修事業において、長屋はトイレと倉庫に改築され、母屋と蔵は大修繕されています。


 かつては、現在の葛原邸内東側にある竹林に囲まれた広場(イベント等に使用)に葛原家(元は矢田家であったが、故あって葛原勾当が矢田から葛原に改姓した)の居宅がありましたが、勾当自らの使い易い、暮らし易い家がほしくなったのか、自分で特には夏を涼しく過ごせる家の模型を黍殻で作り、それを大工に見せて建てさせています。葛原しげるに「ただ、何しろ目が見えないものですから暗い部屋も三つありましてね。冬や曇り日のときにはかないません。ですから私、夏だけ田舎でくらして冬は東京西方町の私の家で住むつもりです。」と言わせた母屋です。


 母屋の特徴として、先の話の他に鬼瓦が箏柱(ことじ・箏の弦を支え、音を調節するもの)の定紋(ほぼ家紋のこと)の入った装飾瓦になっています。この箏柱の定紋は勾当の官位を得て一代限り許されたものです。また、その官位のためか庄屋であったためか式台のある格式をそなえた玄関があります。
 邸内には大樹、古樹もあります。推定樹齢200年超え、高さ30mの大銀杏、やはり推定樹齢200年超えの玄関脇に立つ大樫。その他にもアベマキ、クスノキの高木が点在し、いつ植えられたのか芭蕉の木もあります。昔の話になりますが、かつて近郷に知られた樹齢500年もの葛原大松は門の東下に立っていました。その松は昭和2年に倒れ、松のあったところには「松樹の碑」が立てられました。碑としてはその松樹の碑の両側に「葛原勾当碑」と「葛原保墓碑」(葛原保は葛原しげるの兄)、門の西下には有名な「葛原しげる先生童謡歌碑」が立っています。

 葛原大松のあるこの屋敷を恐らく明治の初め頃に「老龍園」と命名されたのが現井原市生まれの坂田警軒先生(教育者、衆議院議員)であり、その名の扁額が今も掛かっています。なお、葛原大松は現在も福寿会館(福山城すぐ北側)の和館の見応えのある松の大廊下として残っています。

 大きな修繕工事を受けながら、ともかくも建てられて180年後の今も立派にその姿、雰囲気を残し、皆様に来て、見て、くつろいでいただける場所になっています。そして、当保存会の活動の拠点として大活躍する場所にもなっています。

( 南から・ 母屋内)

(琴柱紋入鬼瓦・式台つき玄関)

(童謡碑・保墓碑 松樹碑 勾当碑)

(大銀杏・昔の葛原大松)