「葛原勾当 こぼれ話1」を載せました

《岡山の殿様》 仮名遣いは現代仮名遣い、漢字は新字体にしています


 ある時、勾当さんが岡山に滞在中、召されて、時の殿様-池田候-御一家で演奏した後で、殿様から何か褒美に取らせようとの仰せがあった。何も、頂きたいもののない彼は、その旨を答えて退出しようとするのであったが、許されない。何か欲しい物があろうと重ねて仰せられた。
 「いえ、何も欲しい物は有りません」
 「此の室の中とか、予の身辺の物とか、この屋敷中の物とか、乃至は日本国中の何れの地の名物か・・・」
 「何処にも欲しい物は有りません」
 「では、何か、こうして見たいとか、こうして貰いたいとか考える事はないか」
 「それも有りません」
と言いながらも、ふと思い出した彼は、
 「有ります、有ります、一つ有ります」
 「なに、有ると申すか、それは何か・・・」
改まっての御下問であったので、彼はしばしためらった後。
 「失礼な申し分ながら、御邸の煙草盆の掃除が不行き届きで御座いますから、此の次の奉伺までには、どうぞよく御役人方へ御申付置き下さりませ。これが私の望で御座ります」
という彼の言葉は、以外であったので、
 「なに、煙草盆の掃除をよくさせよと申すか」
 「左様で御座います」
 「そちは目も見えないから、その次の間で煙草盆を撫で、撫で擦すってでも見たのか」
 「いえいえ、その様な事を致して見たのでは御座りませぬ。私は先程まで次の間に控えております時、煙草を飲みましては、灰吹きの竹筒の中へ煙管を叩きつけては吸殻を落しましたが、その灰吹の竹筒は掃除がしてなくて、中に水も入れてありませんから、吸殻の火の消えるジューンという音が聞えませんでした。あの気持のよい音が聞きとう御座います。それが望で御座います。 又、あれを聞きますと、私の煙草の吸殻がたしかに灰吹の筒の中に入った事が分かりますが、そうなくては灰吹の外に落ちたり、他へ飛んだのではないかと、心配もいたしますから、どうぞ此の次までにはよく掃除して、竹筒の中には少しだけ水を入れさせて下さいまする様、願いあげます」
 「それは易い御用じゃ。これ、誰かあるか・・・。葛原勾当の煙草盆の灰吹の竹筒を今、すぐよく掃除して水を入れて遣わせ」
と仰せがあったかどうか、そこまでは今、分らないけれど、
「欲のない盲人じゃ」
とは、たしかに仰せられたという。

  葛原しげる.1929.「葛原勾当のこと(三)完―心眼を開いていた盲人―」.『明治文化研究』.三省堂